保育者の本音 子供のためだけではない生き方としての保育【保育とわたし】

保育者の本音 子供のためだけではない生き方としての保育【保育とわたし】

一言に保育と言っても保育も色々、関わり方も人それぞれ。読者の方の保育にまつわるエピソードをご紹介する「保育とわたし」。今回は子育てを終え、訪問型病児保育の保育者として活躍しているお母さんのエピソードです。
東南アジアでの子育てが原体験としてあり、それがいまの仕事、生き方に繋がっているようです。

”まず初めに、もう20年も過去の話になるが、私自身の育児について述べたいと思う。夫の仕事の関係で東南アジアのとある国に暮らしていた私は日本を離れてから3年目で長女を授かった。
異国の地、しかも発展途上国での出産、そして乳飲み子を抱えて何もかもが初めての経験、夫以外に頼る家族や親戚はいない…という生活は傍から見ればさぞかし大変だっただろうと思われるかもしれないが、現実は思いきり子育てを楽しむことが出来た。今振り返ると、あの頃もし日本で普通に暮らしていたら、果たして初めての育児をあんなにも心穏やかに過ごすことが出来ただろうか?と思うことがよくある。

当時、我が家には現地人のお手伝いさんがいた。彼女は年齢が40代で出産直後から私と子供の面倒をみてくれて、赤ん坊の日々の変化に一喜一憂する私に対して彼女は常に冷静に対応してくれていた。今でも忘れられないのが、娘が生後6カ月で突発性発疹に罹った時のことだ。
皮膚が赤く腫れた我が子の痛々しい姿にオロオロする私に
「こういう湿疹はみ~んな出るのよ。大抵はね、顔や体、背中とお腹、お尻…そして足まで出たらね、はい、おしまい!」
と、あっけらかんと笑って教えてくれた。娘が1歳を過ぎて高熱を出した時もそうだった。
「熱、治る、体、強くなる!」と自信たっぷりの表情で諭すように私を安心させてくれた。時には「念の為病院に行った方がいい」などとアドバイスをくれることもあった。用事で娘を預けた時には留守中の様子を詳細に教えてくれたし、帰宅した時の娘の笑顔と身なりの小奇麗さに「さぞかし可愛がられて過ごしたのだろう」と容易に想像出来たものだった。そんな風に、彼女はいつも丁寧に面倒をみてくれながら、他人である我が娘の成長を共に喜んでくれた。勿論彼女は医者でも看護師でもない。専門の知識ではなく経験から知っている事を娘に施してくれて、時に私に伝授してくれたまでのことである。お陰で娘が病気の時にでも彼女に預けて心おきなく外出することも出来たし、自分の仕事に集中することも出来た。子育てに関しては雇い主とお手伝いさんという関係とは少し違い、私にとって彼女は頼りになる近所のオバチャンという存在であった。それが新米ママである私にとってどんなに心強かったかは言うまでもない。

この国には、生まれた子供を一族皆で育てる、或いは近所の子供を地域の皆が面倒をみるという慣習があり、子供達は周りの大人達の愛情を沢山受けながらとても大らかに育っていく。お互いに子供を「預ける」などという意識ではなく「手のあいた者」が面倒みるのが当たり前という考え方があるように思えた。古き良き時代の日本もきっとそうであったに違いない。

*私なりの病児保育
 
あれから20年、その娘も成人した今、私は病児保育に従事している。訪問型病児保育なのでほぼ毎回が初めて会うお子さんの保育で、その子のバッググラウンドや病状の経過をほんの十数分で引き継いでお預かりすることが殆どである。年齢も性格も違うし、病気の症状も様々である。そんな病児保育はなおさら重責であり、常にどこかで緊張感を覚えながら子供と接している。正直なところ不安を感じることもあるが、そんな時には認定病児保育スペシャリスト講座で学んだことが心の支えとなっている。

テキスト中に描かれたイラストと目の前にいるお子さんのまん丸顔が重なり、例えば具合があまり良くなく元気がないお子さんを看る時は「病児保育の心理」の章の内容を思い出しながら偽パッチ・アダムスを気取ってみたりする。
伝染性の病気の場合は前の晩に「感染予防」の章を読み直し、次の日現場で手を洗う時には「線路は続くよ、どこまでも~」と心の中で歌いながら30秒間かけている。
SIDSチェックをしながらお子さんの寝顔を見ている時には頭の片隅で救急救命法を復習している自分がいることもある。また、朝の引継ぎ後に忙しそうに仕事に出かける親御さんをお見送りした後は「働く親が必要と感じる育児支援制度」について書かれたページのグラフが頭に浮かぶこともある。

私のテキストはマーカーやメモ書き、付箋等で一杯になっていて、いつも私の病児保育を応援してくれている。

病気に関しては専門家ではないが、これまで学んだことを活かしながら、「手のあいた者」としてお手伝いすること、そしてそれが何らかの形で社会貢献に繋がること、それが私なりの病児保育の基本である。
状況こそ違うが、かつて自分が助けてもらった時と同じく 古き良き時代の日本には沢山いたのであろう近所のオバチャンのような存在になれればよいと思っている。つまり、私にとっての病児保育はかつて自分が他人から受けた愛情への恩返しの1つなのだ。

将来は「待機児童」、「保育園不足」、または「女性の社会進出」等という言葉が特別にニュースとして取り上げられることのない世の中であってほしいと思う。そして、この病児保育スペシャリストの資格がもっと広く世間に周知されることとなって、困った時にはいつでも人の手を借りて育児が出来ること、それが特別なことでも何でもない社会になることを願いつつ、ほんの微力ではあるがこれからも小さな命に寄り添っていきたいと思っている。”

※登場する場所・名前・所属などは編集部により架空のものに差し替えています。 

子どもを預けている保育者さんと「子どもについて」の話をすることはあれど、「何故保育の仕事をしているのか?」「どのような思いで取り組んでいるのか」など、保育者の方自体の話を聞くことは多くないかもしれません。
保育者の方たちのこのような本音を聞ける機会が増えれば、保育への見方が少し変わるかもしれませんね。

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下記の記事なども参考になるかもしれません。
・『訪問型病児保育』のお仕事とは?【保育お仕事大百科】  
・子育ての経験が活かせる、一生のお仕事に出会いました【訪問型病児保育インタビュー】 
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